一首評をやっていく企画Vol.1

かたちなきものに制圧されてても身体はかたちある かたちある / 椋鳥 (うたの日 2023.01.04.『 制 』)

 シャニマス詩歌部でご一緒させて頂いている椋鳥さん(@mkdr_t)が「うたの日」に提出されていた一首。
 Twitterをぼんやり眺めていたらTLで流れてきて目を奪われ、思わず起きて正座して読み直した。スマホで見たこともあり、改行や表記を間違えたのかと何度も見直し、そして見直すたびにおそろしい歌だと感心させられた。

 最初は「制圧」の語がやや強すぎる気がしたのだが、読んでいるうちに意味の上でも表記の上でも、一首の中で必然性があると思い至った(題字詠でもあるし)。

 ひらがなで描かれた一首の中で制圧と身体だけが漢字で描かれ、対比関係にあることが表されている。そして置かれた場所、視覚的な効果も含め、その対比が、この歌に強さと骨格をもたらしているように思う。

 上の句は三句目がとても上手い。主体が今もなお、現在進行形で制圧され続けていること、そして抵抗を続けていること。この時制の処理は高い効果を生んでいる。「されてても」のリズムもいい。

 また、主体を制圧している「なにか」はひらがなで描かれることで、得体が知れない、まとわりつくような印象を受けるし、下の句の9音、5音のリズムと一字空きにより、主体の身体はそれに抗ってはいても敗れつつあり、崩れつつあることが強く伝わってくる。(素直に読むと結句の前で一瞬ひっかかるのが絶妙。)リフレインの効果もあり、異様なまでの切迫感を突きつけてくるこの下の句はほんとうに凄いと思う。

 とはいえ具体性には欠けるし、実際うたの日ではそれほど票は集まっていなかった(みなさん風邪でもひいていたんだと思うが)。だが、音や表記の見事なコントロールの上に、異常な切迫感をもって描かれる抑圧/目に見えぬ脅威への、なけなしの抵抗、「わたしはわたしを最後まで手放さない」という強い意思は、強烈な印象を残し忘れがたい。いま、このとき、出会うことができてよかった一首。すげー好き。