心臓を渡されても困る。（一首評Vol.0）

心臓もあげます　一生をかけるようなものではないのです　夜が明けます

　／ 野村日魚子『百年後　嵐のように恋がしたいとあなたは言い　実際嵐になった　すべてがこわれわたしたちはそれを見た』

　どう読むかにまずは悩んだ。
　初読時は静かな叫びのような歌だと思った。ある種の許しを乞うているのかなと。
　他者／世界が大切としている何かを、主体はとるにたらないものだと感じており（主体にはもっとずっと大切なものがあるのだろう）、そんな「いまとここ」から離れたいと願っている。静かな怒りと哀しみのある、痛切な歌と読んだ。

　また幾度か読んでいるうちに、祈りの歌とも思えてきた。主体は既にたいせつな何かを差し出していて、加えてなお心臓も差し出そうとしているらしい。生涯をかけた何かや、命を捧げてもなお守りたいものがあるが、それを救うための時間は限られている。もう間に合わないことはわかっているのだが、なお、それでも、懇願せずにはいられない。それも主体よりも上位の、おそらくは人ではないものに願うしかもう手段が残されていない。残酷な情景。

　どちらが正しい読みなのかはわからない。どちらも好みではあるが、前者の方が僕としては好きではある。傷だらけで血塗れではあるが、前を向き歩きだそうとしている横顔に差し込む朝の光。

　構成としては9音の初句と7音の結句で二節目を挟み込むかたち。二節目の切れに悩むが、初句と結句、特に結句の7音によって素直に短歌として受け取ることができるし、読んだときに受ける印象よりもずっと安定していて驚かされる。野村日魚子のこういう韻律の感覚はほんとうに素晴らしい。

　内容としてはやはり初句の「も」が非常に効果を上げている。また、ですますの三連打とそれぞれの一字空きが主体と対象、また話者と世界／社会との何ともいえない距離感を感じさせる。そして結句の「夜が明けます」がちょっと卓越している。どうしようもなく時間切れと、終わりでありながら、はじまりと明るさを呼んでくる。これをこの形でここに置けるのは凄い。

　また使用されている言葉は具体的で、物語を呼んで来てしまうのだが、実は具体性はなく、物語になる前にそれはわれわれの前から消えていく。後に残されるのはどうしようもないほどの切実さである。

　この歌をどう読むかは人それぞれだろう。だがどうであれ、痛切で切実な感情とともに、「あなたには心臓を捧げるに足る、一生をかけるようなものはあるのですか?」というおそろしい問いかけを、この歌は読者の心にそっと置いて、自身は何処かへ去っていく。去っていってしまう。わたしを、わたしたちを置き去りにしたままで。ひどいことをするなぁと思う。

　驚くほどに残酷で、美しい一首である。